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■心不全から命を救う…最後の砦“心臓移植”
「幸い、現時点で心臓は非常に元気に動いています」
安堵の表情を浮かべながら会見に臨んだのは、北海道大学病院心臓血管外科の松居喜郎医師(当時)。
2014年1月、関東地方の病院で脳死判定された成人男性から摘出された心臓が、北海道大学病院に運び込まれ、北大初の心臓移植手術が行われました。
1968年に札幌医科大学で行われた日本初の心臓移植をめぐる「和田心臓移植事件」以来、道内では実に46年ぶりの心臓移植となりました。
あれから10年─。
北海道大学病院心臓血管外科の若狭哲医師は、“心不全”の患者数が年々増加している中で、「心臓移植は決して他人事ではない」と訴えます。
心不全は高齢になればなるほど罹患する率が高くなりますが、超高齢化社会の中、到来すると予測されているのが“心不全パンデミック”です。患者数は2020年には120万人を超え、30年には130万人に達すると推計されています。
心不全は、初期の段階ではほとんど症状が出ないため、気づかずに発症するケースも少なくありません。重症化すると、息苦しさが増して仰向けで寝られないなど、身体機能が落ちて命を脅かす可能性があります。
治療は段階に応じて、薬物治療やカテーテル治療、外科手術などの選択肢がありますが、末期の場合に若狭医師は「小型化された補助人工装置を植え込む方法か心臓移植」と、最後の砦となる心臓移植の重要性を説明します。
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国内の心臓移植件数は、コロナ禍の20年には54件と減少しましたが、その後、徐々に増え続け、23年は過去最高の115件。しかし、心臓移植手術までの待機年数は「約5年」と長く、残念ながら、待っている間に亡くなる方は少なくありません。
なぜ、心臓移植手術までに約5年も待たなくてはならないのでしょうか?
「一番の理由は、心臓の臓器提供が少ないから」と若狭医師は断言します。特に心臓は、肝臓や腎臓とは異なり生体移植ができないため、日本では現状、脳死下での移植のみ。1997年に臓器移植法が改正され、「心臓移植を受けたい」と希望する患者さんが増えたものの、残念ながら臓器提供数と比例しないため、年々待機期間が延びている状況です。
また、北海道の心臓移植医療の大きな足かせになっているのが、地理的な問題や冬季間の雪の問題です。
取り出した心臓を血液の流れがない状態で保てる時間(=虚血許容時間)は、約4時間。心臓は、酸素供給が途絶えると直ぐにダメージを受けるため、摘出から搬送、移植手術まで、4時間以内に迅速に行われる必要があります。
例えば、福岡県の病院で心臓提供があった場合、摘出した病院から福岡空港、福岡空港から新千歳空港、新千歳空港から北大病院という搬送距離と時間を考えると、特に冬の吹雪や悪路の中では、難しいという判断をせざるを得ません。
しかし、多くの課題を抱える一方で、若狭医師は「きめ細かい医療サービスと高度なチーム医療が、北海道大学の心臓移植を支えている」と力を込めます。
日本の心臓移植後の生存率は非常に高く、移植後10年で88・7%。
道内唯一の心臓移植認定施設である北海道大学病院では、10年前に初めて心臓移植が行われてから今までに(24年6月6日現在)、16件の手術が行われてきました。そのうち、15人が確かな鼓動を刻みながら今も元気に日常生活を送っています。
「外科医は、リレーや駅伝のアンカーのような存在」
移植でしか救えない命を救うために…医療者、患者、家族などチーム全員で、命の“たすき”を繋ぐ移植医療。もしかしたら、次は自分が“たすき”を渡す、または受け取る走者になるかもしれない…ということを忘れてはなりません。
(構成・黒田 伸)
■和田心臓移植事件
1968年8月8日、札幌医科大学胸部外科の和田寿郎教授が行った日本初(世界で30例目)の心臓移植手術をめぐる事件。
ドナーは溺水事故を起こした21歳の男子大学生でレシピエントは心臓弁膜症の18歳の男子高校生。手術は成功したと伝えられたが術後の合併症のため83日後に死亡した。
脳死判定や手術方法などをめぐって大阪の漢方医らが同年12月、刑事告発。札幌地検は1970年、殺人罪、業務上過失致死罪など嫌疑不十分で不起訴とした。事件の影響で日本の臓器移植が遅れる要因になったと指摘されている。