道民雑誌「クォリティ」は、政治・経済をはじめ、北海道のすべてがわかる総合月刊誌です。

週刊誌アーカイブス

  • HOME »
  • 週刊誌アーカイブス

週刊誌アーカイブスイメージ

まかり通るオリンピックさまさま【1971年10月】

深刻なコロナ禍のなか強行された東京五輪は、日本選手の活躍に沸く一方で、IOCや東京オリパラ組織委のデタラメぶりが次々と明るみになっただけではなく、「オリンピックなら何でも許される」という傲岸不遜ぶりが国民の反感を買った。こうした悪しき体質は今回に始まったことではなく、50年前の札幌冬季五輪でも露呈していたことが、1971(昭和46)年10月1日号の「週刊朝日」を読めばよくわかる。

金はとれるだけとれ

札幌市は2030年冬季五輪の招致をめざしているが、市民の間に前回ほどの熱量を感じないのは、長年にわたる五輪関係者の不徳の結果と断じていいだろう。
〈札幌オリンピックのスキー、ノルディック種目強化選手合宿費の不正使用事件は、札幌地検の調べが進むにつれて使途不明金の額が増えてきている〉〈帳簿上で合宿に参加した選手の数を水増ししたり、合宿の期間を増やしたり、という操作は、関係者にいわせると「周知の事実」なのだそうだ〉
本番まで5ヵ月。このスキー連盟を巡る一連のスキャンダルは、高まる五輪歓迎ムードに水を差すこととなった。
〈オリンピック関係の荒っぽい金の使い方は、その精算が厳重にチェックされる仕組みが確立されていないのをよいことに、あらゆる点でいいかげんさがついてまわった〉
この年の3月に開催されたプレオリののち、札幌オリンピック組織委内部で「札幌国際冬季スポーツ大会における問題点等について」という極秘文書がまとめられたが、杜撰な行動が出るわ、出るわ……。
〈物品購入では、担当者に冬季スポーツの知識がまったくなく、見当違いの物品を大量に買入れてしまったものも〉〈物品管理にいたっては、搬入の途中で消えてしまったり、倉庫のカギが「ないにひとしい」という状態から、盗難も珍しくはなかった〉
さらには、役員によるタクシーチケット不正使用事件もあり、文書に書かれたことは氷山の一角で、さらに大きな問題は闇に葬られたであろうと疑わざるを得ない。結局、文書は形ばかりで何ら反省はみられなかったわけだが、身勝手な役員の振る舞いが、選手に悪影響を及ぼしていたようだ。
〈合宿に参加するための旅費は列車使用ということになっているが、「疲れるから」ということで飛行機を使う〉〈ある有名なスケートの選手は、スケート靴がこわれたといって、札幌から大阪の業者のところまで飛行機で取り替えに行った〉
また、競技施設でも無責任さが浮き彫りになっていた。
〈いざ使用してみたら欠陥だらけ。その最大のものが真駒内室内スケート競技場。致命的な設計ミスはリンクの中央にある溝。これはコンクリートと氷の膨張を吸収するために入れたのだが、スケートのエッジがすっぽりはさまれてしまう危険なもの〉〈工事担当の業者にいわせると、「そんなものはいらないことが初めからわかっていた」のだそうで、この手直し分だけで五千万円。理想的な競技場の条件を整えるためには、あと三億円も必要というのだ〉
なぜ、このような馬鹿げた問題が百出するのか。「朝日」の記事は、〈これはすべて自分たちが集めた金ではなく、国庫補助金と寄付に頼りきり、「とれるだけとらなければ損だ」という考え方が根底にあるからだろう〉と手厳しい。無秩序に予算が肥大化した東京五輪をみていると、政府、組織委、IOC――本質は同じという気がする。
オリンピックが市民の犠牲の上に成り立っている、との批判は当時もあった。スポーツ評論家の川本信正氏は、〈「東京―メキシコ―札幌―ミュンヘンと、この四つのオリンピック強化費だけでざっと百億円。これだけあれば全国各地に体育館をつくれる。選手強化は、市民のスポーツ振興を犠牲にした上にのっかっているのだから、役員も選手も、金銭に関しては、もっと厳密に考えてもらいたい」〉と苦言を呈している。
記事は〈スキー連盟の事件は、オリンピック至上主義に対して大きな教訓をひきおこしてくれたようだ〉と結んでいるが、〈まかり通るオリンピックさまさま〉というタイトルが、そっくりそのまま東京五輪でも使えるのは、皮肉としか言いようがない。

▲「週刊新潮」’71年10月1日号

「新宿の女」 を強化し た札幌五輪の部長

札幌冬季五輪関連の話題をもうひとつ。五輪強化費の業務上横領容疑で逮捕されたのが、ノルディック強化部長の久慈庫男氏と、コーチとして久慈氏を補佐した前田孝六氏だった。「週刊新潮」2日号では、久慈氏の知られざる実像に迫っている。
〈「公金をやりくりして、車を何台も買い込んだからといって、私腹を肥やした、と見るのは当たらないじゃないか。すべては選手輸送のため、ひいては札幌五輪で日の丸を掲げるという至上命令のためだったんだ」〉
そんな身内に甘い屁理屈で久慈氏を庇うのは、スキー連盟の関係者だ。これもまた「オリンピックさまさま」との特権意識の表れといえよう。
元はスキーの名選手。引退後もスキーへの情熱は並々ならぬものがあり、仲間内では堅物とも言われていたが、夜の久慈氏には「裏の顔」もあったようだ。
〈その彼が地検から捜査を受けるほど、札幌ススキノの高級バーや飲食店で飲み歩き、しばしば上京して、東京のネオン街にも出没する〉
久慈氏が行きつけだった高級バーの木暮実千代似のマダムは、こう証言する。
〈「検察庁の調べを受けました。店にどのくらい来るのかとか、特別親しい女性はいないか、など。いつもスキー関係の方とごいっしょで、お勘定はいつも、ご自分で払っておいででした」〉
タイトルにある「新宿の女」に関しては、こんなエピソードが。〈「久慈は新宿の女性も“特別強化”しているらしい」との噂が流れたのだが、ふだんの行動パターンから、新宿は新宿でも札幌の「新宿通り」ではないかという話になった〉
結局、具体的な女性は特定できなかったようだから、これは「新潮」の勇み足という気がする。
〈久慈は『北炭観光開発』の社員だが、三年前から札幌五輪強化のための“専従”という形。社内の地位は「札幌事務所付」というだけで「月給は十一万円に欠ける程度で、ボーナスなし」(東京本社総務部)。ノルディックの強化部長をしたからと言って、そのためにスキー連盟や強化本部から手当が出るわけではない〉
ポケットマネーが不如意な状況が、横領に手を染める一因となったのだろうか。選手以前に、自らのメンタルを“強化”する必要があったようだ。

▲「週刊新潮」’71年10月2日号

「ススキノの名士」の本業

 「週刊新潮」は9日号でも、スキー連盟不正事件を続報している。一連のスキャンダルでは、乱脈経理の引責により、野崎彊氏が札幌五輪強化本部長とスキー連盟理事長のポストを辞することとなった。だが、一部には「トカゲの尻尾切り」との批判もあったようで、〈肝心のスキー連盟については、JOCから「処分なし」の結論。「理事たち全員が辞任して、すでに再建をはかっており、アマチュアの適性を失っていない」からだそうである〉と、相変わらずの身内贔屓だ。逮捕された久慈氏と前田氏に対する同情論も根強かったそうだから、世間の良識との乖離は如何ともしがたい。
その野崎氏は、〈札幌ススキノで、むしろ久慈よりも、「夜の名士」として通っていた〉という。経歴は華々しく、スキー選手時代は“アルペンの弾丸児”の異名を取り、引退後は五輪や世界選手権の監督を歴任するなど、順風満帆にエリートコースを歩んできた。野崎氏の「顔」はまだある。
〈本職については、ほとんど知られていない。元朝日新聞運動部記者。編集委員などを務め、この一月に定年で退職〉
少し前までは、不正を追及するマスコミ側の人間でもあったわけだ。
〈スキー連盟の騒動が持ち上がって以来、しばしば「弁明」に登場したが、各新聞の彼に対する論調が妙に歯切れが悪かったのも、今にして思えば「ある種の遠慮」があったのかも知れない。野崎氏の本職について、それとなく報道したのは『毎日』一紙だけであった〉
いわば同業者間の「忖度」である。今回の東京五輪でも、「ぼったくり男爵」への破格の厚遇をはじめ、バブル破りの外国人など、さまざまな「忖度」がみられた。どうやら五輪には「忖度」という文化も付きものらしい。

▲「週刊新潮」’71年10月9日号

フロバスただいま運転中

風呂なし生活を送る人は、いまや極めて少数派であるが、昭和40年代はまだ庶民の間に銭湯文化が根付いていた。「週刊朝日」29日号では、そんな時代に重宝された、ユニークな「フロバス」の話題を紹介している。
舞台は夕方5時過ぎの小田急線・百合ヶ丘駅前。〈一台のマイクロバスが現れる。ボデーに「松葉浴場」の大文字。このマイクロバス、入浴客の送迎バスなのである〉
だが、洗面道具持参の人もいるものの、乗客の多くは勤め帰りのサラリーマンやOL、主婦、学生だ。とても入浴に向かうようにはみえない。
〈このバスは、駅前と浴場を往復するだけではなく、路線バスの恩恵に浴さない分譲住宅街を回って、入浴客の便宜をはかっている〉
つまり、浴場利用者に加え、一般客も「便乗」して構わないというわけ。この「フロバス」、〈五時から十時半まで計十六本、“本格的に”運行される〉とあって、路線バスの不便さに嘆く一般利用者にとっては貴重な生活路線でもあったのだ。
ハンドルを握るのは、浴場経営者の石塚昌和さん(41)。団地ができたのを機に親の代からの農業に見切りをつけ、銭湯を開業した。「フロバス」を始めたのは3年前。利用者には感謝されたが、神奈川県陸運局からは「道路交通法に抵触する」との理由で何度も呼び出された。しかし、石塚さんはこう反論する。
〈「それなら温泉旅館の送迎バスもやめさせるべきだ」〉
運賃は徴収せず、お客さんから貰うのは入浴券40円だけだから、石塚さんの主張は筋が通っている。
入浴券を運賃がわりに払っている常連のサラリーマンは、こう感謝の言葉を口にする。
〈「おフロに入るかですって? バスに乗っけてもらって、そのうえおフロまで入れてもらったんじゃ、申し訳ないですよ」〉
いまでは送迎バスを走らせている施設は珍しくない。石塚さんのサービスは、時代を先取りしたものといえよう。「bath」(風呂)と「bus」(バス)は好相性のようだ。

▲「週刊朝日」’71年10月29日号

リトル軽井沢を目指して

コロナ禍によるライフスタイルの変化によって、田舎暮らしを始める人が増えているようだ。空気がいい北海道は、今後、ワーケーションの地としても注目を集めるだろう。「週刊現代」21日号では、そんな地方移住を考える都市生活者に向け、〈今すぐ買えるバカ安過疎地全国一覧〉と題し、おすすめの「過疎地」をピックアップしている。
北海道は「過疎地」の宝庫といえるが、選ばれたのは大滝村(現伊達市)。
〈「昭和三十五年に三千六百人だった人口が、現在は千七百人と半減。主な産業だった硫黄鉱山がダメになり、人口は減るばかり。農業、牧畜も思わしくなく、離村現象は強まる一方です」〉
そう話すのは大滝村役場の職員だ。
当時は国鉄の胆振線(新大滝駅)が通じており、車なら札幌から2時間、千歳から1時間の距離。決して交通不便な場所ではなく、そのため、役場では〈「都会や空港から近いので、レジャー地として絶好で、ゆくゆくはリトル軽井沢と呼ばれる保養地にしたい。温泉熱を利用してビニールハウス栽培やウナギ養殖なども計画中で、出資者や経営者を募集するつもりです」〉との壮大なプランを描いていた。
その後、「リトル軽井沢」の名称は定着しなかったものの、その温暖な気候から伊達市は「北の湘南」と呼ばれ、大滝村を吸収合併した2006(平成18)年以降、人口は1万7千人台をキープするなど健闘している。都会暮らしに疲れた方は、移住を検討してみてはいかがだろうか。

▲「週刊現代」’71年10月21日号

100万都市の造り方

2021年7月1日時点の札幌市の人口は197万6257人。200万の大台が目前に迫っているが、半世紀前はようやく100万を超えたところであった。「週刊文春」4日号が、オリンピックを前に変わりゆく札幌市の「いま」をグラビア特集で伝えている。
〈札幌はいまビルラッシュ。来年1月には世界最新の地下鉄が走る。全長12キロのうち4キロが高架。雪害にそなえてすっぽりシェルターに覆われる〉
グラビアのトップページは、豊平区平岸上空から撮影したシェルターの開口部。このスノーシェルターとゴムタイヤは、世界でも珍しいものであった。
次ページの見開きは、北区の麻生団地、新市庁舎、北海道熱供給公社の航空写真。麻生団地は、三角屋根の同タイプの家がズラリと並んでおり壮観だ。市庁舎はこの年、中央創成小学校跡地に完成したばかり。当時としては群を抜く高層ビルで、手前の時計台が小さくみえる。〈やはりこの町も市庁舎から“りっぱ”になった〉との皮肉も。
1968(昭和43)年に創設された北海道熱供給公社は、〈札幌中心部のビル群に高温水を配る。大気汚染防止の地域暖房システムだ〉との説明がある。空気が清涼なイメージがある北海道で、大気汚染という言葉はミスマッチな気がするが、かつて石炭が主燃料だった時代は、冬になると煤塵が空を浮遊し、雪が黒ずむほどだったのだ。
昭和46年の札幌市の人口は102万6706人。明治2年との数字の比較が載っているが、当時はわずか2戸7人というのが信じられない。
〈この10年の人口増加は40万人。サケ・ニシンの不漁で海に見切りをつけた人たち。炭鉱の閉鎖で山を下りた人たち。ふくれる一方の札幌は、来年4月「政令指定都市」に昇格。遠慮なしに“大都市”を名乗ることになる〉
最後の写真は真駒内競技場。周辺に住宅地は少なく、まだ豊かな自然が残っていたことがわかる。
〈札幌のまちづくりは今年度より始めて20年後を完成の目標とする「札幌市長期総合計画」にもとづいている。計画とオリンピックには何ら関係がないはずなのだが、初年度それも来年2月までで少なくとも5年分の計画が実現する〉
オリンピックを機に札幌は大きく変わった。やはり「オリンピックさまさま」ということか。

▲「週刊文春」’71年10月4日号

日本一赤字率の 高いローカル線

「週刊朝日」の人気連載企画「日本一」。15日号は〈百円かせぐのに経費が四千円〉というタイトルで、「日本一の赤字線」を取り上げている。
赤字ローカル線といえば、北海道の路線が上位(ワースト)を占めそうなイメージがあるが、1971年9月に国鉄が発表したデータによれば、1位は広島県の宇品線(広島―宇品)であった。以下、2位は世知原線(長崎県)、3位は丸森線(宮城県)。
それにしても、中国地方の大都市である広島にある路線が「赤字日本一」とは意外に思えるが、なぜこのようなお荷物路線になったのか、その背景をみていこう。
〈戦後、赤字を累積しつづけた宇品線は四十一年十二月から、営業区間を半分以下に短縮し、通勤、通学客だけを対象に一日朝夕の二往復だけ運転している〉
路線図をみると、終点は宇品駅になっているが、人間を運ぶのは上大河駅までのわずか2・4㌔。その先は貨物列車しか走っていないのだ。そのうえ、表向きは「一般客」は乗れないという不思議な路線でもあった。
〈ホームには「通勤・通学専用列車」「定期券のない方は御乗車になれません」と掲示されている〉
実際は定期券客以外も乗車を拒否されることはなかったようだが、国鉄の不条理な仕打ちに腹を立てた沿線住民から、ソッポを向かれているのが現実であった。
かように何かと問題が多い宇品線だが、その歴史は古く、かつては重要な任務を担っていた。
〈広島駅から宇品港まで全長六㌔の宇品線が、軍事専用線の目的のために、わずか十六日間という突貫作業で敷設されたのは、明治二十七年である〉〈開通と同時に、広島駅に集結した全国各師団の将兵や器材をのせた軍事専用列車は、まだ白木のままの枕木の上を続々と宇品港へ運ばれ、軍用船に乗換えさせられて中国大陸へ向かった〉
当時は学生靴ではなく、軍靴ばかりが目立つ路線だったのだ。そして、昭和20年8月6日――広島駅は全焼したが、宇品線はしぶとく生き残った。
〈早くも翌日の八月七日夕刻、宇品線は開通した。焼けただれた被爆者たちは、この列車で宇品港へ、さらにそこから広島湾に浮かぶ小島へ避難し、宇品港からは救援の兵士たちがやってきた〉
沿線に高校が集中していることが「定期券客専用」という状況を作り出したといえるのだが、それも戦争の傷跡がもたらしたものだった。
〈原爆の直撃が比治山でさえぎられて、旧軍の兵器廠や被服廠などの建物が焼け残り、市内の高校がいっせいにこの建物に疎開した〉
終戦により、軍事路線の役割を失った宇品線は、衰退の道を辿るほかなかった。昭和38年、国鉄は全線廃止を県や市に打診したのだが、地元財界が強く反発し、妥協案として、広島―上大河間のみを残すことになったのである。
結局、このルポの翌年、1972(昭和47)年4月に国鉄宇品線は廃止され、その後は地元通運4社が運営する貨物専用線となったが、トラック輸送に押され、1988(昭和61)年に姿を消した。
美幸線(美深―仁宇布)が「日本一の赤字線」の称号を手にして注目されたのは、宇品線廃止の2年後のことである。

▲「週刊朝日」’71年10月15日号

PAGETOP
Copyright © 月刊クォリティ All Rights Reserved.
このページに掲載された内容の著作権は、株式会社太陽に帰属します。 無断での複製・掲載・転載・放送等を禁じます。

※コンピューターの漢字表示制限により、一部の漢字をひらがな等で表記している場合があります。