森山 領氏/森山病院 理事長
2025年9月号掲載

森山 領氏
社会医療法人元生会森山病院 理事長
医療(整形外科)
道内で初めて「整形外科」を標榜、整形外科は森山病院の「原点」
道内で初めて「整形外科」を標榜したのは旭川市内の社会医療法人元生会森山病院である。
総合病院化と予防医学を目標に、躍進を遂げる森山領理事長に、森山病院の歩みについて語ってもらった。
整骨院の骨接ぎで治してもらいます
――森山病院の整形外科としての歴史は。
父で先代の森山元一が京都大学医学部を卒業後、京都大学の整形外科に入局し、昭和27年2月に旭川で森山病院を開院したのが始まりです。
診療科に「整形外科」を標榜した病院では、道内でうちの病院が初めてでした。
開院当初は、整形外科という診療科を認知してもらうのに10年程かかりました。レントゲンで「骨折です」と診断すると患者さんが「それでは整骨院に行って骨接ぎで治してもらいます」という、そういう時代でした。金融機関も「整形外科って何だ、それ。そんなものに金を貸せない」と。
ところが整形外科が認知されるようになると、今度は、当院が旭川の外傷の救急を一手に引き受けるようになり、函館や稚内など全道各地から患者さんが殺到しました。
やがて先代が倒れ、私が森山病院に戻った頃は、脳神経外科を開設して開頭手術を行いました。旭川で開頭手術を行ったのは当院が初めてでした。北大脳神経外科の都留美都雄教授に来て執刀していただき、その後北大の医局の医師たちも派遣されました。
整形外科の患者さんは、糖尿病などの他の疾患を持っている場合が多く、その対応のために他の診療科を開設することで診療内容を充実させていきました。いまは総合病院化を目標に、さらなる充実を目指しています。
もう1つ欠かせないのが、予防医学です。たとえば骨粗しょう症を治すだけで、骨折の発生率が大幅に減少します。
スポーツ選手は、選手寿命を延ばすために骨折しないようにトレーニングや栄養をきちんと摂る生活習慣に努め、予防医学を取り入れています。当院も予防医学をコンセプトにスポーツ医学に力を入れ、令和2年に開院した新病院ではメディカルフィットネス「サニタス24」の併設やヘルスケアダイニング「ルパ サニタス」を設置しました。
冒頭に整骨院の話をしましたが、柔道整復師が術後のリハビリに大きく貢献しています。いまではコメディカルの一員として柔道整復師が院内に常勤していてリハビリに携わっている病院もあります。当院でも柔道整復師の方たちが当院で経験を積んで、その後開業する方もいます。
そのほか、鍼や灸も大切で、スポーツ選手は鍼や灸をする場合が多いです。ドーピング検査で薬を飲めない選手も多いから。科学的根拠もあって、麻酔科では鍼麻酔が行われています。
病院建て替えで「すぐに潰れる」?
――森山理事長が最も苦労された時期は。
先代が倒れ、私が森山病院に戻った頃が一番、大変でした。当時、病院が老朽化していて医療制度改革が始まったのもその頃でした。患者1人に対する看護師の数や病室の広さの規制などができて、その基準に合わせるため、病院を全面改築しなくてはなりませんでした。診療所への転換を考えたこともありました。
開院当時、市立旭川病院や旭川赤十字病院、旭川厚生病院は木造のつくりで当院が病院の建て替えで5階建てコンクリート造(旧森山病院)にした時は「すぐに潰れる」と言われたものです。職員の中にも「大丈夫ですか」という声が強かったのですが、当院が目指すべきコンセプトについてじっくり説明しました。突拍子もないにもかかわらず、職員はよく理解してくれて協力してくれたことに深く感謝しています。
突拍子もないのは先代もそうでした。ベビーブームの時代に特別養護老人ホームをつくろうとした際、「子どもの対策ならわかるが、何故年寄りなのか」と言われたものです。先代は「すぐに高齢者の時代がくるのに誰も目を向けていないじゃないか」と言っていました。やはり先見の明があった、と思います。
このように森山病院は、整形外科の歴史と歩みをともにしながら発展しました。私は整形外科医ではありませんが、生まれて物心がついた頃から整形外科医の父の背中を見て育ちました。整形外科は、森山病院の原点でもあるし、私の医師としての原点でもあります。
当院は、総合病院化を目標にしていますが、現在整形外科の専門医は7名いて、主力は整形外科です。
これからも当院の歴史を踏まえ、総合病院化と予防医学をコンセプトに地域医療に貢献していきたい、と考えています。
社会医療法人元生会 森山病院
旭川市宮前2条1丁目1番6号
TEL (0166)45-2020
URL https://www.moriyama.or.jp