中島 代博氏/㈱かね彦社長

2025年9月号掲載

(なかじま としひろ)1970年生まれ、戌年。札幌市出身、55歳。札幌第一高校、北海道大学大学院経済学研究科修了。1993年かね彦入社、常務、専務を経て、2013年社長。一般社団法人日本かまぼこ協会副会長を歴任し、現在は理事。

中島 代博氏

㈱かね彦社長

100年前のかまぼこ

日本かまぼこ協会によると、かまぼこ製品が日本の歴史に初めて登場するのは平安時代の1115年のこと。この年号にちなみ11と15を分けて、11月15日が「かまぼこの日」となった。100年前の北海道でも、もちろん食生活を支えていた。

 かまぼこやすり身製品の製造・販売を主力とするかね彦は、1899(明治32)年に札幌の二条魚市場で父子で始めた魚商がルーツだ。中島代博社長の曽祖父にあたる長男の彦平氏が1906(明治39)年に独立し、その後1918(大正7)年に魚商と並行してかまぼこの製造・販売に着手した。かね彦はこの年を「創業年」とし、今年は創業107年となる。

――中島社長は7代目。初代についてどう思われますか。

▲札幌二条市場で営業していた「かね彦商店」

 魚屋ならではの視点がありました。道内でかまぼこ原料といえば、前浜で獲れるワラズカですが、この魚は見た目は良くないが、坐り(固まること)が遅くてかまぼこ作りに適しているのです。そこに着目して、ワラズカなら美味しいかまぼこが作れると、始めたそうです。

――冬季札幌五輪が開かれた1972(昭和47)年に現在地の東札幌に本社・工場を建設されました。

 東札幌地区は豊平川扇状地にあって、すこし硬めの良い地下水が出ます。味わいを損なう鉄分が少ないため、当社は200㍍ほどボーリングし、札幌市の認可を受けた飲料用地下水として衛生的な設備管理を施したうえで製造に使っています。全国のかまぼこメーカーの中でもこうした工程を採用しているのは少ないと思います。

――経営のモットーは「誠実」。その理由を教えてください。

 昔は、店頭に「研究と誠実の店」という標語を張り出していました。創業以来、多くの職人とともに大切にしてきたのは原料へのこだわりと、「研究」と「革新」、そして適正な値付けです。お客様にご満足いただける商品を提供するという意味での「誠実」です。

――全国蒲鉾品評会で農林水産大臣賞をはじめとする受賞歴がありますね。

 はい。大切にしているのは一に弾力、二に風味と北海道らしさ。良い魚を使えばプリッぷりの良い商品が生まれます。防腐剤などを使用せず、できる限り昔ながらのかまぼこ、すり身の持つ味わいを守り続けていくことを心掛けています。製品は全部で400種類ほど。その数は全国のメーカーの中でも多い方ではないでしょうか。

――2023年11月に発売した「かまエナガ」がヒット商品に成長しました。かね彦のイメージキャラクターにもなっていますね。

▲「かまエナガ」のパッケージ

 子どもたちに愛されている「シマエナガ」をヒントに製造部と共同で考えて商品化しました。目と口の黒い点は焼き印で、一つひとつ表情が違います。手作業のため多くは作れませんが、月間2~3000個の販売量で推移しており、当初予想を遥かに上回りました。可愛らしいパッケージのインパクトも大きかったですね。

――今後の事業展開についてどうお考えですか。

「かまぼこは健康に良い食品」であることの啓蒙や消費促進に引き続き努めていきます。食事にプラス一品加えるだけでも手軽に効率の良いたんぱく質が摂取でき、それが充足した食生活は健康寿命の延伸が期待されています。

▲中島公園の近くに所有する
札幌KSビルの有効な利活用も進めていく

 経営面でいうと、輸入原料の高騰に加え、人件費も上がっています。そうした中で、品質を落とさずにいかに収益を上げていくか。それは簡単なことではありません。
 だからというわけではありませんが、かまぼこの製造・販売という本業だけにこだわる考えはまったくありません。世界には、本業とかけ離れながらもしっかりと「名」を残している会社はたくさんあります。社内で「こういうことをやってみたい、挑戦したい」といったアイデアが出れば、皆で検討しながら、新たな事業も考えていきます。
「伝統は守るものではなく創るもの」、「老舗にあって老舗にあらず」、「のれんは革新からしか生まれない」といった言葉があるように、一つの事業に固執せず、たえず時代のニーズをとらえて変化していく、そうしたグローバルスタンダードな会社になっていければ良いと思っています。


株式会社かね彦

札幌市白石区東札幌6条1丁目2-26
TEL (011)823-1181
URL https://www.kanehiko.jp