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『よど号』スチュワーデスの怒り【1970年4月】

1970(昭和45)年4月号の週刊各誌は、3月31日に起きた赤軍派の学生9人による「よど号ハイジャック事件」一色となった。「週刊新潮」18日号では、事件当日に勤務していたスチュワーデス久保田順子さん(23)の手記を掲載。当事者ならではの切迫した心境や現場の緊張感が伝わる描写に、読者はついつい引き込まれてしまう。

週間日記 久保田順子

週間日記は火曜日から始まる。
〈『よど号』は定刻より十分遅れで離陸した。間もなく快晴の空に富士山がくっきりと浮び、子供さんが歓声をあげる〉
事件発生直前の穏やかな情景が、その後の恐怖を際立たせる。離陸から12分、久保田さんがベルト着用の案内を始めた途端、前方座席が騒然となった。
〈数人の若い男がいっせいに立ち上がり、日本刀や短刀らしいものを振りかざして、お客さまともみ合っている。そして操縦席のドアがあけ放たれ、男たちがなだれ込んでいった〉〈さらに別の一人が、啞然としてマイクを握る私のところに駆け寄って、「僕たちは赤軍派だ……」とナイフをチラつかせながら叫んだ〉
久保田さんは昭和女子短大を卒業後、ホテル勤務を経たのち、前年2月に日本航空に入社したばかり。まだキャリアは浅かったものの、他の3人のスチュワーデスはみな年下だっただけに、激しく動揺しながらも、乗客を守らねばならないという重圧も感じていたに違いない。
〈私はジャップシートにベルトをつけてすわらされ、両手を前で縛られた。お客さまも次々に縛られていく〉〈「われわれワー、赤軍派だ。抵抗しなければ無事に北朝鮮に行けることを保証する」という犯人のマイクの声がひびく〉
機内に重苦しい空気が漂うなか、8時59分、本来の目的地である福岡空港に着陸した。
〈ここでお年寄りと子供やそのお母さんたち二十三人が降りることができて、ホッとする〉
給油を終えた「よど号」は、乗員と99人の乗客を乗せたまま、14時過ぎに平壌へ向けて飛び立った。乗客の間では諦めムードが強くなっていく。福岡を離れ安心したのか、犯人グループの殺気立った態度が豹変した。
〈一人が私に「すみませんが、サンドイッチを配って下さい」という。気持が悪いくらいのネコなで声だった〉
しかし、平穏な状況は長くは続かなかった。15時過ぎに着陸したが、そこは平壌ではなくソウルだったのだ。当初は久保田さんも平壌に着いたものと思っていたという。やがて騙されたと気付いた犯人グループが怒り始めた。
〈一人が爆弾のようなものを振り上げて「自爆するぞ」とどなったのでハッとする。恐怖感がこみ上げてきた。私は死ぬかもしれないと思った〉
まさに一触即発。武装警官や韓国軍の動き次第では、誰かが「見せしめ」のために殺害されても不思議ではなかった。
水曜日。エアコンも使用不可になり、サウナのような蒸し暑さのなか、苦しい夜が更けていく。持久戦を覚悟した犯人グループは乗客の食料を奪い取った。
〈半数ずつ交代で睡眠を取っているらしい。間の抜けた寝顔を見た瞬間、急に怒りがこみ上げてきた。できることなら、その顔をクツで踏みにじってやりたい〉
久保田さんの苛立ちが痛いほど伝わってくる。
木曜日。山村新治郎運輸政務官が身代わり人質になることを提案し、状況が好転した。
〈お客さまたちにもようやく余裕が見えて、犯人たちと意見の交換をする人も何人かいた。組長と呼ばれる男が「みなさんを明日降ろす」と告げると、機内からは期せずして拍手。彼は「みなさんともお別れだ。パーティーをしよう」といいだし、突然、詩吟をうなりだす〉〈彼らの主張する“革命”と縁もユカリもない人々を六十時間も監禁して、あげくに詩吟を聞かせるとは……。こんな連中が世界を支配したらどうなるか、空恐ろしい。私は彼らと同年代に生れたことを、無性に悲しく思った〉
このような赤軍派に対する嫌悪感は、その後の「あさま山荘事件」「テルアビブ空港乱射事件」によって一気に高まっていく。
金曜日。乗客を解放した「よど号」は平壌へ。久保田さんも乗客とともに羽田へ戻り、長い「フライト」はようやく終わった。安堵した半面、〈私たち四人は乗員のくせにソウルへ残されて、身の置きどころもない気持だった〉との複雑な思いも。
土曜日。深夜の記者会見をこなし、帰宅したのは午前4時。泥のように眠る。
日曜日。〈『よど号』帰還のニュースを知り、兄の車で羽田に送ってもらう〉
だが、空港は大変な騒ぎで、機長らとの面会は叶わなかった。
月曜日。朝のテレビ番組に出演後、現場検証に立ち会う。荒らされた機内を目にし、〈できるなら極刑に〉と改めて怒りに震えた。
〈「禍いのあとに福来る」という言葉を信じて、当分、空を飛びつづけたい〉と前向きに手記を結んだが、昭和史に残る大事件は、その後の彼女の人生にどんな影響を与えたのだろうか。

▲「週刊新潮」’70年4月18日号

わが2DK電車

ごくふつうの住宅地に並ぶ4両の電車。鉄道マニアが趣味で購入したものではない。「週刊文春」13日号が引退車両を住居に改造した「市電アパート」の暮らしぶりを伝えている。
〈当方、鉄筋の2DK住宅、ガス水道完備、トイレ付でお家賃は七千円ナリ――といえば、たちまち長蛇の列ができそうなうまいハナシだが、これは悪徳不動産屋のうたい文句とちがう。大津市は琵琶湖畔ちかくにあるレッキとした四棟のアパートである〉
このユニークなアパートは、前年の3月末で全廃された大阪市電の車両だ。廃止を聞きつけた大家の寺田正三さん(64)が、1両13万円で譲り受けたもの。車両自体はそう高いわけではないが、ここまで運んでくるのが一苦労だった。
〈一台あたりの運送費が十二万円。車両の改造には四十五万円もかかったが、それでもしめて七十万円ナリでりっぱな2DKが完成した〉
写真をみると、畳を敷いた日本間もあり、なかなか快適そうだ。そのうえ、〈中窓だらけときているので日当りがいい。それに“血筋”が血筋だけに防火、防水は万全。暖房もよくきく〉とあるから、安価な家賃もあいまって、ファンならずとも興味を引かれたのではなかろうか。
ちなみに、最盛期には多数の路線網を誇った大阪市電だが、モータリゼーションの波には抗えず、万博開催の1年前に最後の2路線が姿を消した。この手の鉄道車両住宅、現代においても十分に需要があるビジネスだと思うのだが。

▲「週刊文春」’70年4月13日号

見落とされている旅の穴場15選

春の行楽シーズンは、コロナウイルスの影響で各地とも閑古鳥が鳴きそうだが、8月のマラソン開催時には状況が落ち着いていることを願うばかりだ。「週刊現代」30日号では、〈命の洗たくに好適の奇勝珍湯全国ガイド〉と題して全国の15の穴場観光スポットを紹介しており、北海道からは2ヵ所が選ばれている。
〈化石化した奇木が珍しい野付岬〉。写真をみると、荒涼たる原野に朽ちた木々が立ち並んでおり、おそらく「トドワラ」の一群と思われる。「トドワラ」とは、海水の浸食や潮風により、トドマツ林が立ち枯れたもの。付近にはミズナラが立ち枯れた「ナラワラ」もある。
〈北海道の東端・根室標津から車で30分のところにある野付岬には、海岸線一帯に化石化した幹木がニョキニョキと生えており、地の果てを思わせる景観である〉〈そろそろ雪もとけ、草の色もあざやかな浜のかなたに、うっすらと国後島も望める〉
この「トドワラ」は自然が生み出した芸術品。年々腐朽が進んでおり、残念ながら、半世紀前のようなダイナミックな光景はもうみられない。今なら大樹町のジュエリーアイスがランクインするだろうか。
北海道のもう一つの奇勝は、〈雄大な眺望の水無海浜温泉〉。〈恵山道立公園(函館→恵山はバスで約3時間)の突端、美しい燈台のある恵山岬の水無部落の海岸に、満潮時は海中に没する温泉が湧いている。白波砕ける荒磯の入浴は豪快そのもの〉との説明があるが、その言葉通り太平洋の大海原を眼前に望みながらの入浴は現在も楽しめる。ただし、混浴なので水着が必要。潮の干満により、入浴可能な時間が日ごと変わるのが特徴だ。まさに「珍湯」と呼ぶにふさわしい。

▲「週刊現代」’70年4月30日号

定山渓「ハイジャック事件」の幕切れ

大事件が起きると、模倣犯が現れるのが世の常である。「サンデー毎日」26日号が、定山渓温泉を舞台にしたお粗末な「ハイジャック事件」の顛末を伝えている。
〈犯人はセールスマンとも学生とも見える小柄な若い男。男は宿帳に「広島県呉市松本町三一、福森明(のちに犯人の友人の名だとわかった)、二十九歳」と記載した〉
3月6日の夕刻にチェックインした男は、翌日はタクシーで洞爺湖観光を満喫。8日午前、従業員の沢村美代子さん(40)が3万7千円の請求書を持って部屋を訪れたところで犯行に及んだのである。沢村さんを縛り上げた男は、支配人の川崎一男さん(53)を呼びつけ、〈「十万円とカローラか、カローラに似た車を用意しろ」〉〈「オレは警察に追われる身だ。女の一人や二人いつでも片付ける」〉と凄んだ。
川崎さんが金を分割して渡し、時間を稼ぐ間に警察に通報。50人近い捜査陣が急行して隣室に詰め、宿帳の記録から犯人の身元を割り出していた。本名は杉山強(26)で、〈三月末、勤め先の樋上工務店の樋上実社長に「仙台のおじが危篤なので見舞いに行きたい」とウソをいって旅費をもらい、姿をくらました〉という。偽名を使ったものの、住所を勤務先にしたばかりにアシがついたわけだ。
犯人は室外の気配から警察の手が回ったことを察知し、ここから道警捜査一課の安中太吾警部(42)の説得工作が始まった。
〈安中警部 お前は少年時代八雲にいたそうだが、わたしの兄も八雲にいる。話合いに応じてくれないか〉〈杉山 いやだ。あしたの朝、レンタカーを用意しろ。その辺で新聞社のカメラマンがフラッシュをたいているぞ〉
当初は頑なだった杉山だが、疲労の色が濃くなるにつれ、態度に変化が現れ始めた。
〈安中警部 広島にいるお前の雇主から電話がはいった。つなぐぞ〉〈杉山 いやだ。いまは話したくない。(樋上さんが)「バカなことをするな。早く女を出して自首しろ」〉〈杉山 おやじさん、すまない、すまない、いまは会わせる顔がない。どうにもならないんだ〉〈安中警部 人を殺したわけではないのだから、素直に出てくれば、あとの心配はいらんぞ〉〈これだけ心配しているのがわからないのか。オレも男だ。なんでも言い分は聞く〉〈杉山 わかった。考えさせてくれ。その前にもう一度おやじさんと話したい(零時三十五分、樋上さんと電話で話す)〉〈杉山 はい。警察のバクにつきます〉
説得開始から7時間。情実作戦が奏功し、あっけない幕切れだった。宮城県で強盗の前科があり、洞爺湖観光で利用したタクシーでも〈「オレは赤軍派だ」といったり、料金一万七千四百円を請求されると、「フロントに十五万円預けてある」などと、その場のがれでごまかしていた〉という悪党だったが、樋上さんが理解ある人格者だったことで、凶行を踏みとどまったのだろう。
ただ、思想なき場当たり的な犯行に対し、道警関係者は〈「無銭宿泊はズルいヤツにしかできない。陰険で小心な、典型的な分裂症だ」〉とこき下ろしていた。

▲「サンデー毎日」’70年4月26日号

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